2015年6月16日

本と本棚

以前ミニコミ誌に掲載したテキストです。

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本は好きだけれど「読書家」ではないと気がついたのはいつのころだろう。
子どもの頃から、本棚の本の並び替え。作家別や関係のある本同士を近くに並べ、
頻繁に入れ替えをしていた。
その本棚から、その時の気分に合わせた本を選び出すのが楽しかった。

本はさーっと1回読み終えてしまってから、2度3度と読むのが好きだった。
須賀敦子さんが、子どものころお母さんにこう言われている。

「ゆっくり、おいしいものを食べるときみたいに、だいじに、噛むようにして読むものよ。
おまえみたいにはやく読んでしまったら、きっとかんじんのおいしいところを
読み落としているにちがいないわ。 よく噛んで読んでちょうだい。」

(「こころの旅」p.137)

ほんとにそうだなぁと思うけれど、さーっと読んでしまうのはやめられなくて、
せめて線を引きながら読むようになった。1-2年経って再読するときに、ペンの色を
変えると、自分が以前気になったところと、今との違いがわかる。

本との関係はいつもよかった訳ではない。本を読むことが逃避になっていた高校時代。
その頃から帰りに必ず本屋に寄ることをやめられなくなる。繁華街の本屋に小一時間。
毎日行っても変わる新刊コーナー、文芸棚の一押しの若手コーナー、立ち読みしたり、
たまに買ったり。本屋の本棚と本が、私の代わりに何かを覚えておいてくれていると
なんとなく思っていた。

学生の頃、短い間だけれど本屋でバイトをした。チェーン店ではなくて町の小規模な、
でも4Fまである書店。
社員さんの作る人文・社会系の本棚にちょっと憧れを持ちながら、マンガや参考書の
フロアのレジを担当した。新入荷雑誌の入れ替えもした。雑誌の前号は返品されてしまう
ことと、世の中にはレアな雑誌があることを知った。(「へら鮒」と「へらぶな釣り」)
バイトの帰りには、気分転換に別の本屋に寄って帰った。

 

いわゆる個性派書店だけではなくて、チェーン店もTSUTAYAの書籍コーナーも、
駅前のちいさな本屋でもなんでも好きだ。
「キッチン」の冒頭でみかげが「ものすごくきたない台所だって、たまらなく好きだ」
と言っているけれど、そんな感覚。
チェーン店なら何でも見つかる安心感がある。ブックファーストや大垣書店の棚の作り方
はよい感じ。TSUTAYAの書籍コーナーはは売れ筋の本をざっくり把握できる。
駅前の本屋は、自分が中高生だった頃と変わらず、雑誌とマンガと文庫本と少しの単行本
が置いてあって懐かしさを感じる。
個性派書店で「出会った」本は買った心境もまるごと覚えていたりはするけれど。

どうして毎日本屋に寄るのかと聞かれる。本屋は用事がある時しか行かないのでは、と。
八百屋と一緒で、店頭の本は毎日変わる。定点観測は楽しい。
最近付録付き書籍のコーナーが幅を利かせている、映画公開が近くて関連本が充実して
いる、とチェックしたり、雑誌の表紙を眺めたりしている。

強く記憶に残る本棚は、堀江にあった貸本喫茶ちょうちょぼっこの本棚。
確かメンバーがそれぞれの本を持ち寄ってつくった本棚だったと思う。メンバーとは
たぶん世代が近く、これまで読んできたけれど手放してしまった本がたくさん
並んでいた。チャイを注文して、本棚に挟まれた椅子に座って、ゆっくり本を読んだ。
いつでも読みたくなったらまた来ることができると思っていたので、閉店がとても残念。

恩田陸が10年ぐらい前の「記憶の図書館」というエッセイで、自分や他の人がこれまで
読んだ本が全部集められた図書館があればよいのにと言っていた。今となっては、ネット
でそういうサービスもあるけれど(Booklog)、できれば本棚を眺めながらぼんやり歩いて
みたい。

図書館では、気になる本を手当たり次第にピックアップして、その中から今日借りる
本を絞り込んでいくプロセスが好きだ。選ぶ本でその時の心境もわかる。元気な時期は、
ノンフィクションや実用書が多くなり、疲れてくると物語を読みたくなる。

これまで本屋や図書館の中を歩いた距離の合計はどれぐらいになるだろう。
直線距離にすると、自分が思っているよりずっと長いかもしれない。