2016年2月15日

本と本棚 -居場所としての-

昨年の夏、街中でどうしても本が読みたくなって、とある古本屋へ行った
思った以上に、子どもの頃読んできた本があった。なるべく絵本や短い話をぱらぱらと見ていた。
「いやいやえん」「エルマーの冒険」「ちいさいモモちゃん」「霧のむこうのふしぎな町」「はじめてのおつかい」
この話を確かに知っていると思いながら集中して、30分ぐらい本棚の前に座り込んで読んでいた。
その日は悲しいことを思い出してざわざわした気持ちでここにたどり着いたけれど、かなり落ち着いた。
店主にあとで聞くと、たまにこういう人がやってくるらしい。

 

自分の家(private)の本棚の前でも、図書館の本棚(public)の前でも、こんな時間は過ごせない。
自分の本棚には、もう子どもの頃読んでいた本はあまりないし(実家にあるかもしれない)、図書館には、たくさん絵本があるだろうけれど、自分が読んでいた本ばかりがある、という感じはしない。
小学校の図書室に、放課後ひとり残っているような、エアポケットのような感じを味わえてありがたかった。
何か買って帰った方がいいのかなと思うけれど、ここに並ぶ本たちは、このままこの本棚に置いておきたい。自分が所有してしまいたくない、と思う。

 

 

家に帰りたくない高校生だった頃に、1人で毎日帰りに寄れる場所が街中の大型書店(20時閉店)だったということを思い出した。
店内の棚の配置は今でも覚えている。毎日通っていると(基本的に本はそこで購入…)、平台の配列が入れ替わっていくのも楽しかったし、その時考えていたことと本棚の本がリンクして、外部記憶装置のような役割を果たしてくれると感じた。「私の代わりに覚えてくれている」と。

個人書店やスペースなど人がいる場に通えればよかったなと思うけれど、その時はこの書店が唯一の選択肢だった。
本棚があるところは居場所になることができる。